どうして女性学?

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 よく友人から・・・概して紳士方から、「それにしても恐ろしい学問に手を出されていますねえ。

ほら上野千鶴子さんとかテレビの田島先生とか・・・」。といわれます。

女性学、フェミニズムと聞くと蕁麻疹が走る方々も多いくらいです。

どう考えてもそうした方面で知られている女性たちは男性にとってフレンドリーで気安く心を許せるような方々では

ありません。(女性の私にだってそうですよ。!)

ただ、そういう強面でないと長い歴史の中で培われてきた女性に対する差別的な感覚にあふれた社会でバランスを

取りながら自己実現をはかっていくことが難しかったということなのかもしれません。

人間は他人の靴を履いて見なければその人のことを理解することは出来ないとアラバマ物語の最後は締めくくって

いました。それと同時に、他人に踏まれた痛さは、踏んでいる側には分からないとも言えます。

                        

                                 米国の友人の送ってきた写真

 1960年代に”Black Like Me” という小説が米国で流行りました。

黒人の世界を知るために白人男性作家が胆汁を過剰に分泌する薬を飲みスッカリ褐色に染まった後で外に一歩踏み

出した途端、道行く白人の彼に対する態度が一変し、それまで知っていた社会とは全く違う空間を歩み始めるのです。

女性学が女性の体験に根ざした学問である限り、これまでの伝統の中で築かれてきた「女とはかくあるべし」の社会的

文化的定義づけに対峙して生きようとすればするほど強面にならざるを得ないのでしょう。

 

 但し女性の体験に根ざしている限り、その体験がいかに同じ女性としての共感に満ち溢れているとはいえ、女性の

数だけ多様であってもいい筈です。メキシコシティで開かれた第一回世界女性会議は同じ女性問題のキーワードを

探すのに際して平等を叫ぶ先進国の女性と開発を叫ぶ開発途上の女性、平和を叫ぶ戦時下の女性たちが紛糾する

ことからスタートし三つを並列して掲げることでやっと決着がついたのはその例です。

 男性と女性が同じ人間として尊重され、同じ様に社会において自己成長を遂げるためのチャンスを与えられるよう

になるまで、意識化の活動を真剣に続けていくことにおいては共通しています。全人類の半分を占める女性が活性化

することによって世界がどれほど人間的な豊かさを帯びてくるか分からないからです。開発と経済摩擦と戦争に明け

暮れ公害と数々の動植物を絶滅に追いやった20世紀から、いのちにやさしい世界への変革の期待は女性の寄与なし

にありえない。その新しい夜明けは男性と女性が対等な関わりをもてて初めて始まるのです。

 

 その実現をまず既存の価値体系、家制度の影を引きずる家族制度そのものを壊すことによって女性独自に達成

しようとするのか、それとも男性と女性が対等なパートナーシップを築こうとする努力の中で共に手を携えて

相互補完的に達成しようとするのかは分かれるところであります。

私は、後者に立つものであり、その思想的基盤は自身のクリスチャンとしての信仰に拠っています。

日本のフェミニズムにおいて大勢を占める前者の動きに対し、私はキリスト教女性学というアイデンティティを明確に

することによって私の女性学をスタートさせました。

(参照 拙著 パートナーシップキリスト教女性学』 門土社 1999年3月

       『ライフシェアとパートナーシップ―キリスト教女性学』 門土社 2007年5月

 

そのことは、女性が社会において一個の自立した人間としてその成長のために男性と同じ機会を与えられ、

職場においても同じ仕事に対して同じ賃金を確保することが出来るよう熱く闘っていくことといささかも矛盾しません。

それと同時に、家族こそ人類の最初の基盤であり、人が愛し愛されることを体験する最も大切な揺籃であることが

全ての原点というべきものでもあると信じています。

むしろ今日のような家族の危機にあって、いのちの最初の場である家族を護るためにこそ、私は、男性と女性が対等な

社会を作るために尽力する情熱を汲み取っていると言うべきかもしれません。

 

 男の子と女の子のどちらが欲しいかといわれたら日本では女の子を望む声が多くなりました。

だからもう女性学は時代遅れなのではないかと、さっさと名称を切り替えたフェミニストたちもいます。

しかし、世界のほとんどがそうではありません。むしろ胎児が女の子だと分かったら中絶し、或いは間引く国々、

どんなに姉が優秀でも凡庸な弟のほうに教育をはじめ全てのチャンスを回す国々、多額の持参金を持たせねば

娘の婚家での幸せが保証されない国々、差別的な風俗、習慣、に女性を縛る国々・・は枚挙に暇がありません。

そうした国々の友人を持つ限り、その彼女たちのためにも私は女性学を手放さないつもりです。